2015年8月23日 六島水仙植えるカムツアー
農政水産課の立場で、島嶼部の活性化の面でのコメントをすることはどうかとは思いますが、笠岡市の元島おこし海援隊として、コメントすることが今後の笠岡諸島の活性化及びひいては笠岡市の活性化に繋がると考えて敢えてコメントさせていただきます。
私は平成13年4月1日付で笠岡市島おこし海援隊として他の2名と共に島嶼部の専門の職員として任務に就きました。
その選考方法もこれまでにない、志願制の選考で、島おこしプランの論文と共に面接で人事異動が決定し、島に3名の派遣が決定しました。
島は陸地部の過疎高齢化の10年先取り、課題先進地としていろいろなことに取り組んでまいりました。(以下、概要を掲載します。)
平成14年8月 住民組織電脳笠岡するさ島づくり海社の設立
平成18年9月 NPO法人かさおか島づくり海社設立。
7つの有人島を一つの島と考えての連携的な取り組みをしてきた方向性が、逆戻りしていると考えています。
陸地部のまちづくり協議会の流れの中で、再度行政は個々の地域に補助金を出して自治を進めようとしていますが、その指導力、人材の面から十分とは言えず、その今更ながらの流れを島嶼部まで展開し、島づくり海社がつくった流れを、再度個々の島へと逆展開しています。
批判していても何も始まらないので、それぞれの考え方の中で最善を尽くすことが必要だと考えています。
例えていえば、住民福祉では、平成19年2月に北木島大浦にデイサービスが出来上がり、その後、北木島の豊浦、白石、真鍋島へとその輪は広がっていきました。今度益々高齢化が進展する中で、7島の連携は自立的、利益の再配分で大きな島が小さな島を支えています。もっともっと島同士の連携、陸地部との連携を積極的に勧める他に生きる道はないと考えています。
再度、島の現状を鑑み、戦略的島づくりの方策を外部の力を借りて連携して進める必要があります。
以下は、農村計画学会に投稿した内容です。
島は過疎高齢化の先進地どう立ち向かう笠岡諸島
特定非営利活動法人かさおか島づくり海社 理事 守屋基範
私たちの活動の拠点としている笠岡諸島は、笠岡市沖に位置し、大小合わせて31の島からなりそのうち7島が有人等で約2000人が住んでいます。高齢化率は62%で過疎高齢化の先進地と言っても過言ではありません。
まず、そんな笠岡諸島で島づくり海社が設立された経緯から話を始めます。さかのぼること平成8年に笠岡市のまちづくり支援事業で笠岡諸島の各島が事業を実施。平成9年の成果発表会でそれぞれの島の代表が集まり「島の討論会」を実施しました。島を元気にするためにはどうしたらよいかというテーマで「まず交流」という意見から「島の大運動会」を実施するというプランにつながりました。そして、翌平成10年5月に北木島で第1回の「島の大運動会」を開催し、全島の島民が北木島に集まり汗を流しました。その後、運動会は毎年各島で開催され、現在までに15回実施しています。島同士の交流なくして連携はとりにくく、島の活性化はスムースにスタートを切りました。
島の活性は大きな行政課題でもあったので、住民要望から島専属の職員を島に常駐させて欲しいという要望にこたえる形で「島おこし海援隊」を平成13年4月に配置。廃校になった旧北木小学校の一角を事務所として職員3名が北木島を拠点にして6つの島をつなぐ役割を果たしました。そして、翌平成14年には住民でつくる任意団体である電脳笠岡ふるさ島づくり海社を設立し、本社を北木島において、各島に支社を置くという「会社」組織を意識して、島を経営する感覚で島おこしに取り組む島民組織づくりを行いました。
早速、各島から事業計画があがり、本部で協議して補助を行う仕組みをとりました。当初の活動資金は県や市からの補助金でしたが、持続性という視点で会計管理も工夫しています。福祉施策等の給付に特化するとお金は回りません。お金を稼ぐという観点も必要ですので、補助金の3割相当額については返却の義務を課しています。返済をするためには収益のあがる事業も考えなければいけなくなるのです。事業には各支社で行う独自事業と本社で行う全島に関連する事業と分けています。
平成14年当初から支社事業として空家対策事業を行ってきたのは高島でした。民宿のオーナーが泊り客の声を聞く中で移住したいというニーズをあらかじめ把握していたので、初年度は、空き物件の確保ためアンケート調査を実施しましたが全てノー。人に家を貸すのには大きなハードルを感じました。そして翌年、そのオーナーが、身内の物件4件分を強引にOKを取り付けてインターネットに掲載してから、一気に火がつきました。テレビの全国放送に取り上げられて問い合わせが殺到したのです。高島は1ヶ月ほどで埋まり、理事長の住む北木島・副理事長の住む眞鍋島へと拡大し対応を図りました。当初は、とにかく事業としての実績を出したいが為に家賃は1万円でこちらから移住をお願いするといったスタンスになっていました。5年ぐらいで40人ぐらいが移住したでしょうか。しかし、今の移住対策の視点は如何に地域が求める人に島に移住してもらうかが肝要でそのために地域を挙げた取り組みが求められるところです。
平成14年に任意団体ができたころから新しい特産品開発への動きが活発化してきました。例えば飛島では自生の椿の実から油を採っていたので、この機に油絞り機を導入して椿油を絞り販売したり、真鍋島ではゴーヤづくり、白石島ではオーガニックコットン作りも始まりました。特記するのは、北木島で始まった「灰干し」の特産品化が挙げられます。全国地域づくり交流の中で知り合った三宅島復興支援の団体とのコラボで、三宅島の火山灰を使って瀬戸内海の魚を灰干しにしょうという事業で国の補助を受けて事業化しています。現在は「魚々干し」として贈答品としての需要が根強い商品です。三宅島の不要物「火山礫」を北木島の石材加工技術で灰にして、灰で魚を挟みこんで低温熟成させ、新しい付加価値を作り出すものです。
そして、もう一つ「しまべん」があります。平成17年にテレビ局のプロジェクトで作り上げた「島の人が・島の食材で・島で作った」手作り弁当です。各島の独自の弁当を試作し、これを機に営業を再開するところや、旅館等が観光ツアーの弁当として提供するところなども出て話題になりました。
移住してくる人のノウハウを生かして、飲食店が開業したりするケースも少なくありません。また、島で一番必要とされる医療・福祉面でも今行っているデイサービスなども移住者や外からの応援者によって産声を上げています。島へ民間の事業者は参入しにくいので自らがその担い手になるという意気込みで現在島に4箇所のデイサービス事業所を運営しています。
また、島外との交通は船で行いますが、一番面積の大きい北木島では港に出るため、診療所に行くためには車を持っていないといけないのが現状で、島民の足としての有償運送事業の要望も出てきました。
平成18年9月に、介護事業への展開、過疎地有償運送事業を受けるためにも法人格が必要だということもありNPO法人を取得しています。
このように、法人格を取得することにより、行政とのパートナーシップも醸成され、離島振興のための補助金や委託事業も増えて介護保険事業と併せて貴重な収入源の確保につながっています。
また、平成25年から買い物サービス事業を岡山県の補助制度の下、北木島の豊浦地区をモデル地区としてはじまり、平成26年末には六島まで広げています。これは倉敷のイオンと提携しており、注文の翌日に週2回(豊浦)週1回(六島)の配達を実施しています。
地域外の大学との連携ですが、数年前から介護・福祉関係の大学生の実習の場として県の事業とも連携して行われています。1泊2日の研修事業を北木・白石・真鍋等で民泊形式で実施。平成20年は岡山商科大学と2年間の共同研究を行い、今の事務局長はこの共同研究を行った時に大学生で卒業後島づくり海社に就職しました。また、六島や北木島でも期間が1ヶ月程度の地域課題解決型のインターンシップが行われており、よそ者・若者の視点でいろいろな提案がなされ、島民もいい意味での影響を受けている。
現在の課題は、活動の財源がほとんど介護事業報酬であることです。今後、制度の改正や高齢者人口も減少する中での新しい財源となる収益事業の展開が必須で、国の事業を市役所経由で実施している観光プロデューサー養成研修事業などの次の収益を生み出す人材の育成が急務となっています。
平成27年度県事業に関連して、六島の「島小屋」の農家民宿の事業を行いますが、この「島小屋」については六島まちづくり協議会が平成24年春から取り組んでいる大学生インターンシップ事業により、島民と大学生が協働して行っている事業です。
参考までにこれまでの経過についてのまとめのホームページがありますので紹介します。